会員のつぶやき of Ensemble Hikone

会員のつぶやき

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マンドリンの魔力


★今回はT・Yさんに「マンドリンの魔力」について語ってもらいましょう★

【T・Y】
マンドリンの音色には、心を掻き乱すものがあります。何故か自分が冷静でいられなくなる。
演奏の最中は、弾くのに気を取られて、そんな自分に客観的に気がつけない。
あとで演奏の録音など聴いてみると、なんのことはない、ただテンポの走った演奏になっています。
いままでにこの失敗を何度繰り返してきたでしょうか。

最近、これを克服する方法が少しわかりかけてきました。
年を重ねると血液の体内循環が遅くなるようで、反応が遅くなるところに、
心を掻き乱されても、結果として自分のイメージする丁度良いテンポで収まる。
マンドリンほど、奏者の年齢によって、テンポの早さや解釈が変わる楽器はないのではないかと考えてしまいます。
つまり同じ曲を演奏しても、高校生の演奏は早く、社会人の演奏は遅くなる、という傾向があるということです。
マンドリンの魔力はこんなところに潜んでいるのではないでしょうか。

★この点についてK・Yさんはどう思われますか?★

【ドラ息子】
年を取るにつれて、反応が遅くなるのは確かですが、
若い頃と違って、一音一音に色々な思いを込めたくなりますね。
その結果、おなじ音でも重さ密度が違ってきているように思います。
例えば、曲のある部分を弾いていてそのメロディーなりパッセージに想起されて、
自分が経験してきた情景が思い出され、それを自分の音に込めたくなりますね。
それは年を経るに従って増えてきています。
年を取ると涙もろくなると言われますが、同じようなことかなと思っています。
また、例えば同音の三連符なども本当は均等に三分割したテンポで弾かなくてはいけないのかもしれませんが、それでは味気なく感じ、3つの音もそれぞれ違った思いを込めて弾きたくなりますね。
もともと艶っぽい演奏が好きなもので……。これは年齢とは関係ないかな。

本題のマンドリンの魔力というか魅力というか、これについては
一音一音の持続時間が短いということと、打ったが最後、それっきりというところでしょうか。
一度ピックで弦を弾いた後はその音をコントロールできない。
ヴィブラートがありますが、ギターほど効果的でない。
それで、一音一音に神経を使う。一期一会の心境ですかね。
このあたりはマンドリンという楽器の短所として取り上げられもしますが、
そこが魅力。ちょうど花火のようでもあります。
はかなさの中に美しさがあります。
それともうひとつ、音量が小さいところ。心落ち着きますね。
控えめなところに美しさがあります。
年を取ってきて解りかけてきました。年を取ることの有難さでしょうか。
T・Yさんが言うように、高校生の演奏と社会人の演奏では違う。
出来ることが違う。

マンドリン合奏におけるテンポ


【T・Y】
なるほど、年齢を重ねると音に込める思いが多くなって、速いテンポでは「もったいない」ということですね。「もったいない」という気持ちはとてもよくわかります。

マンドリン合奏で最も大切なことは、まずテンポだと思います。
その曲に最適だと思うテンポは、どの曲にも「普通のテンポ」とそれより遅め、あるいは速めのテンポと、二つくらいはあるように思います。あとは例の魔力に負けないで、どこまでそのテンポを実現できるかです。
それが楽器の特性上、とても難しいんです。
メロディーをトレモロでなくピッキングにしたとき、撥弦後の減衰を埋めようとして、ほんの少しだけ無意識のうちに次の音を速く弾いてしまうことが、走ってしまう原因だと思うのです。
逆にクラシックの編曲ものをピッキングで弾くときは、バイオリンよりテンポを早く弾かないと間がもたないと思います。
全く違う解釈でマンドリン独自の曲づくりをしないと、クラシック編曲ものを弾く意味はないかな。


【ドラ息子】
確かに、クラシック編曲ものだけでなく、マンドリンという楽器を使う以上、その特質を生かした曲づくりは必要ですね。
ここで、テンポに関して興味深い記述がありますので、紹介します。
バロックからウィーン古典派までの時代とことわった上で、
「協和音で構成されている曲に比べ、不協和音の多い曲は通常テンポより遅めに演奏されます。
また、複雑な和声やハーモニーの変化の多い曲、先取音の多い曲などもテンポは決して速くありません。
それは、不協和音を構成している音が必ず協和音へと解決し、その解決への過程を聴かせる、ということがこの時代の音楽美学の重要な要素だからです。解決する前の音をはっきりと聴かせなくては解決する部分の美しさを表現することはできません。ハーモニーの変化も聴いている人にわかるように演奏するには、その部分を丁寧に扱わなくてはなりません。
つまり、大切な音を大切に表現するためには、ある程度の時間を与えないとその効果は得られないのです。したがって、テンポは少し抑えめになります。」

ここで「通常テンポ」(Tempo ordinario)といっているのは、「速くもなく遅くもない中庸な基本拍」で、それに相当するのが人間の1分間に打つ脈拍数(60〜80)や歩く速さなどです。すべての曲は通常テンポを基本とし、そこから速度を速めたり遅くしたりします。当然、演奏する人、場所、状態などによりテンポは少しずつ違ってきます。ただし舞曲に関しては除外されます。」

また、T・Yさんが言っているピッキングのときだけでなく、トレモロでゆったりとした表現をしようとしたときに、間延びした感じになってしまうのを避けるためにテンポを速めにとったりしがちですが、これは1拍の中の打数が少ないのが原因ではないでしょうか。

ギターパート


★T・Yさんにマンドリン合奏団の中における、クラシックギターについて語ってもらいましょう★

【T・Y】
マンドリン合奏団の中における、クラシックギターの役割はとても微妙です。
リズム、テンポ、コードという重要な役割をもらいながら、楽器の特性上、
マンドリンオーケストラの中ではそれが聴こえにくいのです。
マンドリン側からすると、手元で弾く自分のメロディーは、
ギターが得意とするアルペジオさえもかき消してしまい、ギターを追い越していってしまう・・・。
つまり普通に弾ていたら、マンドリンの中でクラシックギターは聴こえない。
残念ながらクラシックギターの「練習対演奏効果」は著しく低い、と言わざるを得ないのではないでしょうか。

この悩みに対する私の解決方法は次のとおり。
小節頭に命をかけてベース音を鳴らす。
曲の雰囲気を考えて、全部同じに弾かずアクセントなどつけてみる。
コードはガット弦を固めに鳴らす。
難しいコードは、演奏効果の高い音を自分でチョイスして全部は弾かない。
速い曲はベース音さえ弾いていれば、ごまかせると割り切る。
気づかれないよう、コード内で弾き易いよう編曲してしまう。
常にテンポをリードする事を考えて、マンドリンが無視したら怒る。

でもみなさん、オリジナル曲はもちろんしっかり練習しましょうね。
がんばれ、クラシックギター。

ドラ・セロパート


★バイオリン、ビオラ、チェロ。マンドリン、マンドラ、マンドロンセロ。
 マンドリン、ギターと来たから、次はやっぱりドラ、セロパートについて。★

【T・Y】
オーケストラでおいしいパートは、と聞かれたら、弦は「チェロ」、管なら「ホルン」と答えます。
マンドリンオーケストラでいうなら、この「チェロ」「ホルン」のパートを引き受けているのがドラ。絶対においしいです。
「おいしい」というのは、味わいがある、弾いていて楽しい、もっとやりたい、という意味です。
中音域ということもあって、素敵な裏メロ、ハモリ、相の手や小じゃれたリズム、時には苦しい裏打ちも割り当てられています・・・。
マンドリンほど音を追いかけなくて良いし、何よりもトレモロが綺麗。
弦の太さ、張力のバランスが、ピックで弾くマンドリン族の中で最もトレモロに適しているのでしょう。上手な合奏団には、必ずバランス感覚があって上手いドラリストがいるものです。

セロは弦が太くトレモロが苦手なものですから、「チェロ」のおいしい役割を完全にドラにもってかれてます・・・。しかしセロにはベースの役割がありますから、ここ一番の影響力は絶大で、主体的に曲のテンポや雰囲気を作れるパートだと信じています。
特に好きなのは、ピッキングの重音。強力なので編曲してでも多用したいです。
私なら、コントラバスがいるなら、ドラのおいしいメロディーを勝手にユニゾンやハモリで弾いてしまいます。音が少ないし、いろいろと考えての編曲もあり、と勝手に思っています。
ああ、弦を張り替えるのにペンチが二本必要でした・・・。

先日クラブ内で、ギターは「マンドリン合奏団」と団の名前にも出てこないでかわいそう、
という暖かい声があり、「ギターマンドリンドラセロクラブ」に改名する事になりかけましたので
とりあえず一通り、ドラ、セロまでご紹介いたしました。


【ドラ息子】
というわけで、「マンドリン・ギター合奏団」の表記に改名しました。以後よろしく。

マンドリンのイメージ


【T・Y】
マンドリンは、言わばバイオリンにフレットを付けて音程を取りやすくして、ピックで弾くことで音が出やすくして、各弦を二本ずつ張って共鳴しやすくした楽器です。
その構造は、バイオリンよりもギターと似ていて、直接増幅するのに丸いボディーになっています。
したがって音を出すのが比較的簡単で、オーケストラの楽曲も手軽にそのまま弾けてしまいます。
(ギターは編曲が必要ですが)

イタリア発祥と思われていて(※本当は違うのですが)そのイメージは「気楽、陽気、楽しい」。
一日の仕事が終わり、心地よい風の吹く夕暮れ、テラスに近所から仲間や家族が集まってくる。
心尽くしの食事にワインも少々、酔いも回ってきたところで陽気な掛け声とともに誰かが歌いだす。
つられるように誰かれとなくマンドリンを持ち出して来てミニ演奏会がはじまる。
合奏、手拍子や笑い声は、時を忘れて月あかりの下、夜更けまで続いていく。

実は練習の時も、こんな風景に憧れているのですよ。
仕事や家事をそそくさと終えて、一人また一人と会場に集まってきて、パートが増えて、
音が重なっていくときのイメージは、私の中では「イタリアのテラス」です。
ワインはありませんけれどもね。

つき合いだすと、ピッキングにするかトレモロにするか、アップにするかダウンにするか、
どのポジションで取るか、どの場所を弾くかなどなど……。
マンドリンは奥が深く味わい深い楽器でもありますよ。


【ドラ息子】
※マンドリンと同様の楽器はイタリアという国ができるまえからヨーロッパ各国にあり、バロック時代に多くの作品が書かれていたのが後に注目されなくなり、近代になってナポリのカンツォーネの伴奏楽器として用いられてから有名になり、イタリアの楽器としてのイメージが広まったようです。
現在、マンドリンと言えばナポリ型(4複弦)が有名ですが、その他、弦の本数や単弦か複弦かなどでブレーシャ型 or クレモナ型(4単弦)、ロンバルディア型(6単弦)、ジェノバ型(6複弦)などがあります。

TYさんの憧れを砕いて申し訳ないですが、イタリアの中でも多くの人がマンドリンを知らないという話で、私自身かなり以前イタリアを訪問した際も、北はミラノから南はシシリー島まで旅したのですが、楽器店を除いてあまりマンドリンを見かけなかったです。日本人だって生でお琴をお目に掛かる又は聴く機会はあまりないですものね。
でも、その憧れわかります。マンドリンがあるかどうかはわかりませんが「イタリアのテラス」は普通にありました。そしてそれが人生における幸福というものだと思っていました。ましてや、そこにマンドリンがあれば最高!

自己実現はむつかしい


【T・Y】
どんな楽器でも自分で演奏できるという事は楽しい。弾けたら誰かに聴いて欲しい。
そして出来れば少しでもほめて欲しい。しかし人前で演奏する時は緊張する。
本番で失敗すると、がっかりする。
失敗したのに拍手が多いのは、ままある事で、
全体の出来は良かったという事だけれども納得がいかずに、自分としてはがっかりしている。
本番で上手く弾けたと思ったのに拍手が少ないと、これまたがっかりだ。
つまり、本番で自分もそこそこ上手く弾けて、拍手が多かった時だけ、少し得意になれる。
そんなことはめったにある事ではないけれども。
いったい音楽が好きで弾いているのか、自分を認めてもらいたいだけなのか、どうなんでしょう。
そもそもお客さんのいない演奏会ってあり得ないし、
それが録音会だったとしても、やっぱり誰かに聴いてもらう事が録音の前提だものな。
自己実現って、ムツカシイ。


【ドラ息子】
若い頃は自己顕示欲というか、確かに褒めてもらいたいという思いがあった。
しかし、最近人前で演奏しているとき、(良い悪いは別にして、たぶん悪いのでしょうが)
聴衆のことはどうでもよいように思えてきた。
問題は自分が練習してきたことがその場で実現できているかどうかということ。
だから、あまり練習しなかった曲がうまく演奏できなかってもガッカリしない。当然だから。
しかし、練習のときに弾けていたものが本番で弾けていない状態にガッカリし、情けない思いをする。一体何のために時間を費やしたのだと。
これは他人に対して得意になるためでなく、自分自身を納得させられないことに落胆する。
演奏会は自分自身がやってきた事と結果を点検するためのキッカケみたいなものとなっている。
だからお客さんが居ようが居まいが関係ない。
ただ確認のため、ケとハレ、あるいは日常と非日常といった区別された状態だけを必要としている。

長続きの秘訣


【T・Y】
クラブは今年で創立30年を迎えることになる。成り立ちが滋賀県立短大マンドリンクラブOB、OGの集まりだから、OB会として長続きするのは当然かもしれない。しかし現メンバーの約半数は部外者(私もですが)なので、うまく運営が出来ているのだと思う。
長続きの秘訣は「もう少しやりたい隔週の練習」「練習そのものを楽しむ」
隔週の練習だと、一回の欠席は練習が月一回になってしまう事を意味する。
毎週だとしんどくなるが、隔週だと「もう少しやりたい」という気持ちが持続して、出席率も自然に高くなり続けられる。
合わせるのが楽しいから練習する。演奏会を決めると、たちまち練習は「しなければならない」事になってしまう。だから演奏会はやりたくなった時にやる。
また、毎回の練習のたびに打ち上げをしたり、普段も電話でやりとりしたり会いに行ったり。
練習以外でのお付き合いが、練習を楽しくしていたりするかも。
でも結局、練習に対して不真面目という事なんだよなあ。長続きはするけど上手くなる要素はないものなあ。

それで、毎週の練習になったわけ (一年前から毎週の練習になりました)

クラブが30年続いてきたという事は凄い事だけれども、30歳年をとってしまったという事なのだよ。時には音楽談義に花も咲いたものだが、このごろの話題はもっぱら「健康」になってしまった私達。
「そう、私達には時間がないのよ。」
隔週で何とか何とか維持できていたトレモロの技術が「手が動かない」なんて事になってくれば、
毎週リハビリに通うしかないじゃない。
でも毎週練習になると、「えっ、もう土曜日? また練習? 」とか「今日は用事があるのに! 」と
きっとなる事でしょう。そんな時こそ不真面目に参加したら良いと思うのだけれど。

隔週の練習を長続きの秘訣と分析しているだけに、この点ちょっと心配しています。
毎週楽器を構えて「腰が痛い」のが一週間で回復できないのなら、お大事に隔週で通院して下さい。

集まり・演奏して・楽しむ


【ドラ息子】
今回はドラ息子がつぶやきます。
〈マンドリンのイメージ〉の練習のところでTYさんもつぶやいておられたが、
私なりの憧れは、表題のように「集まり・演奏して・楽しむ」。
あらかじめ色々な楽譜を配布しておいて各自が練習しておき、集まったときにその時の体調や状態に応じて選曲し演奏する。 それは練習ではなく、自分たちのためだけの演奏会。
もちろん楽しむためにはその曲が弾けるように練習しておかねばならない。そして合奏のとき、他のプレイヤーと協調してそれぞれ自分としての表現を見つけ出す。より深く楽しむには各自がその曲の背景を調べたり作曲者の意図を楽譜からくみ取らなければならないかもしれない。
最高の楽しみは自己を表現すること。
以前、そのような集まりを「楽会」(Gakkai)と呼ぼうとしたこともあった。しかし、誰も呼ばなかったが……。なかなか練習しておく時間が見つけ出せない。そして弾けない状態では参加しても楽しくない。憧れは憧れだけで終わってしまうのか……。
現実は、集まったときに指の練習をして、各自が前もって曲を解釈するのが面倒で、それで他の誰かに解釈を委ねてしまう。それでその曲が弾けたように錯覚する。各自の解釈をぶつけ合って、そこから新しい何かを見つけ出す。合奏の醍醐味はそこにあるのではないか。その楽しみを放棄している。
自戒を込めてつぶやきました。

アンサンブルって楽しい


【T・Y】
アンサンブルとはどのような意味? 服の組み合わせでも使ったりする言葉だものなあ。
良くわかりませんが個々が調和して一つの作品を創り出す、くらいの意味でしょうかね。
10年ぶりに楽器を取り出してこのクラブに初めて参加した時、合奏した人数は4~5名でしたが
「ギターのコード伴奏だけでも、合わせるのってやっぱり楽しい」と、
その時あらためて感じた感動が、今クラブを続けている原動力のような気がます。
また、あの時の練習が20~30名くらいの合奏だったら今も参加しているかしら、とも思うのです。
大人数だと確かに演奏に迫力はあるでしょうが、自分が弾いても弾かなくても演奏が成立しているところに、わざわざ弾かなくても良いのではないか、と思ってしまうからです。
「アンサンブル」の厳密な定義はわかりませんが、全員の表情が見えて、楽器ではなく名前で呼び合えるくらいの人数が、音量の小さいマンドリンにとっての最良の編成ではないかと思ったりします。
音がずれ出した時に、最大公約数?の打点に音を入れて修正したり、新曲を演奏するときに、
こんな曲ではないかと勝手な雰囲気づくりをするときに、アンサンブルの喜びを感じます。

演奏会ってたいへん


【T・Y】
演奏会を独自で立派に開こうと思うと、1時間超の楽曲を用意しないといけない。
これは結構な負担であり「練習そのものを楽しむ」は、
「計画的にしなければならない練習」になってしまう。
しかし演奏会という大きな目標がないと、やり甲斐がないのもまた事実。
よく練習中に交わされる「次は何の曲する?」という会話もなくなるわけだ。
その折衷案として、30分の楽曲で構成する演奏会を開催してきた。
その手法として、合同で開催したり、エッセイを織り混ぜて演奏会の体裁を整えてきた。
毎回違う企画で、お手軽演奏会を目指してきたのだが、成功も失敗もあった。
今やってみたい企画は、平日の夜に1時間だけエコーホールで開催する合同演奏会。
総予算2万円で実現できる、超お手軽コンサートです。


【ドラ息子】
平日の夜ですと、お客さんが来るかどうか判らないので、公開練習というのはどうですか。
曲目と時間配分だけは前もって決めておいて、ステージ上の練習を公開する。
これだと我々単独でもできるし、お客さん集め等の負担も軽減できる。
でも、たぶんお客さんはゼロだろうな。

高校マンドリンフェスティバル


【T・Y】
マンドリンの甲子園が毎夏大阪で開催されており、各校は受賞を目標に青春をかけている。
我クラブから多くのメンバーが毎年観戦に行き、エネルギーをもらい、新曲を仕入れてきてくれる。
私も一度だけ観戦に行ったが、その後行かなくなったのは「不公平感」を感じてしまうからだろうか。
学校によって、人数の違い、楽器編成の違い、指揮者が先生か生徒か、選曲のジャンルの違いなど。
違う土俵なのに、受賞結果に一喜一憂する純粋な姿を見ていると、何か気の毒に思ってしまう。
ギター部員が少ない学校に「低音が弱かった」と講評しても仕方がない。
プロみたいな先生が指揮すれば受賞は当たり前だろうし、先生が脚光を浴びるのは違和感がある。
指揮者は生徒に限るというルールならすぐに作れると思う。生徒に指揮の機会を与えてあげて欲しい。
私が観戦に行かない本当の理由は、彼女や彼らの姿が眩しく羨ましいからかも知れない。

アミンチュ・クラブ


【T・Y】
近頃のびわこ放送は「知ったかぶりカイツブリ」「滋賀ッツマン」など、なかなか説明しにくい滋賀県民のアイデンティティを、かくもはっきり映像化してしまう注目すべき番組が目白押しだ。
中でも「淡い海の人だから~」というコピーは短いながら秀逸。英語的な直訳では絶対に説明できない世界が一言に詰め込まれている。
敢えて説明してみると……、塩っ辛い刺激はなく、穏やかで波風なく、多くの生き物を包み込んでおり、飲料水としてお役にも立ってしまう、癒し県民性という具合だ。
沖縄人が自分たちを「うちなんちゅ」、本土人を「やまとんちゅ」と言うのに習って、
「淡海人(あみんちゅ)」と称するそうな。

言いたかったのは、このクラブのアイデンティティは「淡海人」だな、ということですよ。
部費の支払いはいつでも良い。選曲は譜面を配ると決まる。指揮者は直前まで誰が出るか無しかも判らない、パートが欠ければ誰かがまわる。こんなんで長く平和に続いているのだから。
「滋賀ッツマン」は「ヒーローが活躍しない時が、真の平和な時」と本質を言い当てていてスゴイ。
滋賀は今日も全く平和だが、備えあれば憂いなし、がんばれ、のほほんヒーローズ!

曲のはじめ


【T・Y】
指揮なしで演奏するのは難しいけど、身軽で楽しい。
まず問題になるのが出だしのテンポです。
「さん、しっ」の掛け声は、出だしの瞬間を示すだけでなく、テンポも示してないといけません。
掛け声のテンポと演奏のテンポが違っていては、あまり意味がないように思います。
傾向としては、掛け声が早い場合の方が多く、こんな時の演奏はお互いに探り合い、もたれあったちょっとだるい演奏になります。
曲のはじめは、奏者全員が最小単位の八分音符「タカタカタカタカ」なりを、予備拍として感じていないといけないわけで、これは予想以上に結構なエネルギーを必要とするところです。
曲のはじめは勇気がいるし、何気ない始まりでは、何気ない演奏しかできないということです。
出だしだけでこの演奏が聴くに値するか、否か、一瞬でお客さんが判断してしまうのも恐ろしい。
指揮者は、これを一瞬で表現して奏者に伝えます。
思いつく超一流どころは、チョンミョンフン!

彦根市民の歌、演奏収録


【T・Y】
「彦根市民の歌」マンドリン合奏版の演奏収録が、ひこね市文化プラザエコーホールで行われた。
演奏会では間違えてもすぐに消えてしまう「一瞬の恥」も、何本ものマイクで拾われたマズイ演奏は
「恥の保存」以外の何ものでもないから恐ろしい。
合唱団版、吹奏楽団版の録音に臨むそれぞれ各団体の意気込みとその決意を聞くにつけ、
前日に決めたコードだけ書いた譜面で伴奏する私達のいい加減さといったら本当に恐ろしい。

録音風景はドラマのNG大賞を思い出していただきたい。
「ごめん」「もう一回」「納得できん」。
かといって何回録り直ししても、これ以上上手く弾けるわけでもなく
「はいこれで」と切り上げるあきらめもとても重要だ。
願わくば、ゆっくりバージョンの演奏が彦根市表彰式等のバックミュージックなんかとして採用していただけたら嬉しいのだが……。
「恥の保存」の心配は、この演奏が万が一どこかで採用されてからすることにしよう。
録音スタッフの方々、長々とお付き合いいただきありがとうございました。

マンドリンのフォルテ


【T・Y】
マンドリンは一本でもよく通る楽器なのですが、二本で弾いたらその倍の音量、
というものでもなさそうです。
フォルテで弾く時はピックを思い切り弦に当てるので、ほどを越えてしまうと打楽器になってしまいます。この傾向は、大勢のときや低音のセロに多く見受けられます。
その気持ちはとてもよくわかります。
なぜなら大勢のフォルテの中で自分も弾いている事をアピールしたいし、
セロにフォルテでメロティーなど書いてあったら、ここぞとばかり弾かないわけにはいかないからです。
これが「若さ」という事なのかも知れませんが、
じょんがら三味線のようなフォルテがマンドリンに本当に必要でしょうか。
大人数による極端なフォルテ、ピアノのダイナミクスをつけた演奏が、良い演奏としてはびこりすぎているような気がします。
マンドリンって、もっとデリケートで上品な楽器ですよね。

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