[1997.4.8]

必然性という筆圧によって小説は書き進められる。しかし、現実は大きな

必然性の束であり、小説にはなりにくいと言われる。そこで、普通小説は

偶然性を取り入れた流れであると考えられている。事実は小説より奇なり

との諺が示すように、本当は現実こそ偶然性の束であるのかもしれない。人は

とにかく、必然性を望む、そしてそこにこそ安心を求める。また、科学は必然性を

証明することで成り立つことを忘れてはならない。

推理小説では、まったき偶然性の事態を綴るが、そこに必然性の糸を織り込

んで、「必然性の流れ=小説」を成立させており、考えのおよばないほどの意外な

場面の移行を、さらに以外な必然性の「鍵」で貫き、読者を魅了して止まない。

しかし、その必然性は、誰が考えても圧倒的な必然性である時「フェアーな推理小説」

であると評されるのである。私たちが、実際的に示す指針は、果たして何処に存在する

ものであるかは不明とせねばならない。

例えば、空想科学小説や官能小説は、可能性を筆圧として綴られ、そこには

かならず読者の同意が想定されているといえる。



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