近江猿楽 多賀座の紹介
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近江猿楽多賀座とは・・・
日本を代表する伝統芸能である「能・狂言」の形成に
大きな影響を及ぼした近江猿楽の発祥の地が多賀であることに誇りを持ち、
平成5年に多賀町民を中心に「近江猿楽の復興」を掲げて結成された。
和泉流狂言師、野村万之丞氏の指導を受けながら、
平成7年から3年間、多賀大社万燈祭や多賀町ふるさと祭りなどで
「多賀大田楽」を上演。
彦根お城まつりチャカポンでは、彦根城大田楽と銘打って、
市民参加も含めて上演した。
多賀大社にて薪猿楽「狂言会」や平成猿楽(万燈祭)の上演などを経て
現在は、
「風流」(ふりゅう)系の芸能に挑戦し、上演している。
現座員は、大人30名(中学以上)、小学生20名。
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猿楽とは・・・
奈良時代に中国から渡来した平安時代の芸能ののことで、
滑稽な物まねや言葉芸が中心で、
相撲御覧の時や内侍所御神楽の夜などに演じられた。
時には一時の座興の滑稽な動作をも猿楽と呼び、
広義に呪師・田楽等を含む。
鎌倉時代に入ってからは演劇化し、後に能と狂言へと進化していった。
また、中世における芸能(能・狂言・猿楽・茶道等々)を確立したのは、
ばさら大名の異名を持つ甲良町の佐々木道誉だと言われている。
近江猿楽とは・・・
近江には、早くから猿楽座が存在していたと推測されており、
室町時代の初期には、上三座・下三座の六座が活動していた。
下三座とは、多賀町の敏満寺、蒲生町の大森座、甲賀水口の酒人座と言われている。
上三座と下三座の六座を総じて近江猿楽と呼ばれていた。
延年風流とは・・・
「延年」は、鎌倉時代の初め頃から、
大寺院の法要の後、宴遊に際して演じられた芸能のことで、
寺院に所属していた当時の猿楽衆も、この芸能に参加していた。
「風流」とは、趣向を凝らしたきらびやかな創り物や衣装、
また、それらを用いて練り歩き、舞い躍ること。
現在も各地に伝わる民族芸能の多くがこの系統のものである。
多賀座では、
民族芸能を中心に、様々な趣向のものを融合した
「見て楽しい」芸能を創り上げようとしている。
龍神、獅子頭は、座員による粘土からの手作りで(FRP)、
衣装や鬼面なども市販のものを座員が自分達でアレンジして使っている。
また音楽も、野村万之丞氏の指導で創作・作曲した。
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