探索24日目

(日記。数ページ白紙が続いていた。僅か、何かで濡れた痕があるのみ。  以下、視点変更。) 少年はただ、立っていた。 春を喜ぶ風が舞い、雲が唄う、その空の下で。 見上げる先には、青い空。 少年はただ、立っていた。 己に期する希望、行く手を阻む現実、その中に。 俯けば、無機質な床を染める自らの影。 孤独。 彼の孤独は、真の孤独ではない。 彼が知らぬ間に支えられ、彼もまた誰かを支えている。 しかし大きな絶望に気づいた時、ささやかな孤独が彼を包んだ。 人は、常に絶望と闘う者。 齢十五、彼はその場へ足を踏み入れた。 早きか遅きか、それは問題ではない。 この絶望は、今島にいるもの全てに与えられたものでもある。 それでも。 彼の流す涙に、偽りはない。 胸を去来する言葉。 檸檬を愛する女剣士。 「もうこの島ともお別れだってのに」 蜥蜴の姿をした勇者。 「コれでオわカレにナるかモしレマせん」 飄々とした青年。 「今度この島を出ることになったので」 自分に与えられた立場と葛藤する青年。 「俺は一度、ここを出て自分がやりたい事を探してみようと思う」 少年は、初めて気付く。 出会いと別れは同意義なのだと。 この世には、如何ともできぬことがあるのだと。 これが、絶望だと。 空は、いつしか朱に染まり。 なだらかな冷気が、少年の肩に触れる。 いつまで安易な絶望に浸るのか、と。 人は皆、それと闘っているのだ、と。 お前だけが特別なのではない、と。 少年は、吼えた。 この世の何かに向けて。 崩れ落ちる、影。 静かに、闇の帳が降りる。 心の嵐は、より深い暗闇へと落ちるのみ。 理解していたつもりであった。 だが、現実とはかくも隔たりがあるもの。 己は、何を知っていたというのか。 不死者の血を身体に宿す少女。 「…でも、エゼくんのことを一番気に掛けてくれてるのもあの人だよ」 ふつふつと湧く感情。それは怒り、反発、自尊。そして――――喜び。 もてあます心。未だ経験せぬ、感情と感情の衝突。 制御しているようで、実は制御されているのか。 心のどこかに、巨大な化け物が棲んでいるのではないか。 にやり、とほくそ笑んでいるのではないか。 叩きつける拳。 床を冷徹に打ち、響き。然れど床は、ただ床であり。 流れる血。走る痛み。拳は、ただ拳であった。 ある種の虚無感が満ちる。 帳に隙間なく覆われた空。 惨めに這いつくばった背中。 突然、光が射し。 隠れていた月が、帳の綻びから顔を出した。 舐めるように鼻を近づけていた床も輝いたように見え。 幼き時の記憶が脳裏を貫く。 平気で殴る父に、少年が泣きながら訴えたあの日。体中に痣。 「泣く暇があったら鍛えとけ。身体なぞ痛いうちにはいらねえ」 唇を噛締める。怒りと、悔しさと、わからない何かが戦っていた。 「いいか。お前もいつか、誰かを守る時が来る」 「俺にできるのは、その時後悔しないようお前を強くすることだけだ」 少年が疑問を口にしようとと思った瞬間、頬を叩かれる。 「もし俺が弱けりゃ……お前は生まれていない。それだけは、忘れるな」 「だから身体の痛みごときで泣かなくなるまで、殴り続けてやる」 直後、首筋に手刀が振り落とされる。沈む意識の中、口の中に血の味が広がった。 それは、明るい月夜のこと。 その前も、その後も、ことある度に少年は殴られた。 1度寝込みを襲ったが、返り討ちにあう。 声も出なくなるまで殴られ、以来試したことはない。 いつしか涙は出なくなっていた。 涙の代わりに育てた、父親への激しい感情。 しかし、今。感じるものはどの痛みよりも鋭く、胸を抉る。 いっそ父親に殴られ、痛みで全てを忘れたいと願う。 「あまりクヨクヨ考えすぎはいけないデスよ?」 ふ、っと笑われた気がした。急ぎ顔をあげるも、周りに気配はない。 神出鬼没の母親。自分には、いつも優しくしてくれた。 優しい木々に囲まれた日々。 1月も経たないはずなのに、酷く懐かしい。 帰ろうか。帰って、しまおうか。 「いや…!」 少年は、激しく頭を振った。 まだ、終わるわけにはいかない。 そして、まだ終わってもいない。 急に、なにか別の感情が強くなってきた。 怒りでも悲しみでも喜びでもない。 それは、焦り。 何かを為すには、無駄な時間などない。 膝をつき、手に力をこめた。 すっくっ、と立ち上がる。 もちろん自分の感情を御したわけではない。 未だ胸の中では多様なものが燻っている。 しかし、本能的に――或いは叩き込まれたものか――礼を欠くことへの怖れが先立った。 何も言わずに別れることはできない。 ただ、その一念が身体を動かした。走れ、エロス。 ここで少年は、ようやく気付く。頬がひどく不快なことに。 触れれば、涙でべたついていた。 手甲で拭くと、抵抗があり痛い。 しかし今は、その痛みが心地よくさえ感じられた。 いつしか、月は再び雲に隠れ――― 少年の旅は、まだ終わらない。

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