探索4日目ともぐいのことについて、もう少し、かんがえてみた。 エニシダさんをまつ水辺で、おそいかかってきたのは、 わたしとおなじ、歩行雑草だった。 歩行雑草とであって、わたしたちはたたかって、勝った。 人も、人を殺す。アリもアリを殺す。とらととらが争うこともある。 種がおなじものどうしでたたかうことは、けっして、ふしぜんではない。 遺跡のなかでであった、あまいいさんという人がいる。 ハルアが学校で、おせわになった人なのだそうだ。 ちょっとかわいい、 でもなにかひとを不安にさせる、 そんなふしぎな帽子をかぶっている。 そのあまいいさんから、おそわったこと。 どうぶつにもいろいろなしゅるいがある。 牛や、馬や、ぶたや、そういう、いろいろなしゅるいがある。 草にもいろいろなしゅるいがある。 パンジーや、コスモスや、ひまわりや、ええと、あと、にんじんとか。 ひとは花に名をつけたがる。 でも、にんじんやいもは、花ではなく、たべるところに名がつけられる。 ひとは、ほかのひとと、話したいところに、名をつけて、呼ぶのだ。 パンジーの花がきれいだよね、と、だれかと話したかったから、パンジーの花は、パンジーと名づけられた。 きれいなむらさきの花があるね、では、いけなかった。 いや、もっと言うなら、 「むらさき」という色も、「花」という言葉も、すべて、 だれかと「むらさき」や「花」のことを、話したかったから生まれたことばなのかもしれない。 きのうであった歩行雑草からとれた葉を、食べた。 いたんでしまう前に食べた。 火をとおさずに食べた。 なまのまま、食べた。 にがい気がする。もしゃもしゃしている気がする。 わたしとかれらは「ちがう」。 「おなじ」歩行雑草、でも、わたしはかれら「ではない」。 わたしは雑草。かれらも雑草。おなじ「しゅるい」。 でも、おなじ雑草とよばれる草たちでも、どこかはちがっている。 なんと名をよんだらいいのかわからない、 まっすぐな草、ちぢれている草、背のひくい草、つるのある草、が、ある。 たとえば、「おなじ」人間でも、「おなじ」おおかみでも、 しゅるいはぜんぜんちがうことがある。毛の色や、はだの色や、背の高さや。 毛の黒いおおかみは、毛の白いおおかみを食べたときに、おいしくない、と感じるのだろうか? わたしは「おなじ」雑草をたべたときに、あんまりおいしくないな、と、感じた。 わたしは草を食べる草。雑草とたたかった雑草。 でも、これは、「おおかみを食べるおおかみ」とは、似ているけれど、ちがうことばだ。 「どうぶつを食べるどうぶつ」は、ふしぜんではないし、あたりまえのこと。 雑草とは、なんだろう? どれくらい広いことばなんだろう? 「おおかみ」や「人間」くらいの広さのことばなのか、それとも、 「どうぶつ」や「虫」くらいの広さのことばなのか。 花のなまえを呼ぶひつようのなかった草、 その草について、ほかの人と話したいとおもわなかった草、 人間たちが見なかった草、 それが雑草とよばれる草、なのだろうか。 わたしたちは「おなじ」雑草。 「おなじ」、ひとびとに見つめられなかった草。 「雑草とは、まだその美しいところが見つけられていない草木のことだ」 ということばがあるそうだ。 美しいところを、人が、「見つけ」れば、だれかがその名をよぶのだろうか? わたしにまだ花はさかない。わたしはきっとまだおさないから。 (そう、意思はすごくすすんでいるとおもうし、 おねえさんだと思うのだけれど、 人にくらべて考えるなら、わたしはまだおさないのだ) けれどいつか花のさいたとき、そしてその花がうつくしかったとき、 わたしは「雑草」ではなくなるのだろうか? たとえばわたしにあかるいひまわりの花がさいたとしたら、 わたしは「歩行ひまわり」になるのだろうか? わたしを見て、だれか人が、 あれはへくそかずらだよ、と言ったら、 わたしは「歩行へくそかずら」になってしまうのだろうか? (それはちょっといやだ) わたしはアルクリーフ。歩行雑草のアルクリーフ。 けれどわたしはまだ、じぶんがなんであるかを知らない。 なにになりうるのかを知らない。 ------------------------------------ きょうは、セレナさんに魔石を、 エゼさんにスカーフを、 フォウトさんにリョーリを、たのんだ。 セレナさんはふしぎなひと。きれいな白いはだに、暗い赤色のきれいな目。 あかるいおねえさんのはずなのに、でも、どこかに、夜のような影があるような気がする。比ゆ的ないみで。 ちょっと水がにがてなようだった。そういう、しゅぞくなのだろうか? 見たかんじは、にんげんに見えるのだけれど。 守りびとは、英雄オリフェンドール。りりしく美しく仲間をまもる、女のひと。 なんだか、にあってるような気もする。 エゼさんは、耳がすこしとがった男の子。 身がかるそうで、弓をつかう。ハーフエルフなのだそうだ。 森のひと。わたしたちはなかよくできるのかもしれない。 でも、世のなかには、「エルフはやさいだ」といって、 むしゃむしゃ食べてしまうしゅぞくもいるそうだから、 うっかりエゼさんが食べられてしまわないように、なかまとして、気をつけなくては。 フォウトさんは、かみの色がすごくうすい、おねえさん。 ふしぎなおねえさん、と書こうとしたのだけれど、 ふしぎというには、すごくリアリスト。 ミステリアスなかんじでは、ない。なんていえばいいんだろう? 短い短剣をつかって、みがるにたたかうのだそうだ。 フォウトさんも、リョーリがとくい。 どんなに武器がよくても、よろいがかたくても、 おなかがすいては戦はできないので、このあたりもリアリストなんだなあと、思う。 トラブルがあって、ちょっとはぐれてしまったけれど、 きょうは魔法陣でみんなあつまる予定。 遺跡にもぐって三日がすぎて、 おなかもいいぐあいにへってきている。 きょうのキャンプはちょっと楽しみ。 それぞれが遺跡でみてきたことを、みつけたことを、車座になって、 こんなものがあったよ、なんて、 みんなで話したり、できるかもしれない。 わたしもなにか、「わだい」をさがしておこう。 でも、遺跡でのたんけんや、たたかいのことばかり話していると、 ねむったときにも、なんだか、大きなたたかいの夢をみてしまいそうな気がする……。