創刊にあたり・・・
首領・遼 平
ガキの頃は、『ウルトラマンごっこ』や『仮面ライダーごっこ』
なんかに夢中になって毎日走り回ってた。誰が正義の味方を
やるかで真剣に殴り合いのケンカをしたもんだ。
幼稚園児のクセに。
時には、女の子に混じってママゴトもした。お父さん、子供、
そしてお爺ちゃんと一人で何役もさせられた。向かいのヒーコ
ちゃんはひとつ年上で顔も性格も怖かった。
小学校入っても、誰かが転校する時にやる『お別れ会』で
ヌンチャク振り回して相方にケガさせたり、夏休みの『キャンプ
ファイヤー』では人形を花火で焼いたりetc.
コントと言うか寸劇と言うか、いつもそんな事をしていた。。
気がつけば、今も昔もちっとも変わっていない。
よく人に「とても演劇をするようなタイプには見えませんね。」と
顔を見て言われるが(悪かったな!)、俺を昔から知る人には
「全然変わらないね、体型は変わったけど。」と言われる。
舞台に立つ者として、人から見られたい!または、人にもっと
自分を知ってもらいたい!という気持ちを持っていて当然だ。
むしろ、持ってない方がおかしいのだ!
だから俺は、このページを作った。
遼 平という奴を知ってもらうために。
名前 | 遼 平(りょう たいら) |
本名 | 今村 康博(いまむら やすひろ) |
生年月日 | 1967年2月27日 魚座 |
血液型 | B型 |
身長 | 181p |
体重 | 90s |
出身地 | 滋賀県彦根市 |
遼 平のできるまで
演劇プロフィール(1993〜1998)
1993−彦根市が公募した劇団 彩に入団。当初スタッフ志望
だったが、男優が少なかった為に無理やり役者にまわ
される。
同和啓発演劇にて初舞台を踏む。
劇団 彩
『絆〜いざや川の流れ〜/作・演出 かぜわたる』
1994−自称プロの演出家・清水忠雄に振り回され劇団 彩は
退団者が続出。アル中の清水と対立しながら彩を
牽引していく。
そんな中、かぜわたるに誘われ舞台研究集団・夢幻塾
にも参加。
劇団 彩
『もしもあの電話がなかったら
/作・鶉野昭彦 演出・清水忠雄』
夢幻塾
『星のなる木/作・演出 かぜわたる』
『エイズの話/作・演出 かぜわたる』
1995−清水ショックから見事に彩を立ち直らせる。その反動で
私生活は泥沼に沈んでいく。
劇団 彩
『あの橋の向こうに/作・演出 関口俊也』
1996−彩の若手が中心になり、彩としては初めて同和啓発以外
の演劇を上演。そこで密かに初の作・演出を手掛ける。
定期公演の同和啓発演劇の脚本を書くが彦根市が拒絶。
その作品は巡り巡って米原町で上演することに。これを期に
彦根市と若手劇団員が対立し、責任を取って彩を退団する。
劇団 彩
『人間といふお仕事/作・演出 今村康博』
湖北4劇団合同
『夜のオアシス/作・今村康博 演出・土井一行』
1997−彩の豪腕・川北房子に連れ戻され、ひこね市文化プラザの
柿落としに出演。夢幻塾内にも問題が発生し深く関らざるを得ない
状況に陥る。この年は目が回るほど芝居ばかりしていた。
気がつくと劇団 彩と夢幻塾の両方の代表を押し付けられていた。
劇団 彩
『とまどいの新居/作・鶉野昭彦 演出・関口俊也』
夢幻塾
『サクラの園/作・演出 かぜわたる』
『サクラの園2/作・演出 かぜわたる』
『男と女はForever/作・演出 今村康博』(出演なし)
第1回滋賀県演劇フェスティバル
『近松門左衛門/作・演出 かぜわたる』
1998−自分が本当はどんな芝居がしたいのか?と真剣に考え始め、
全く上演予定のない脚本を執筆する。それを夢幻塾の中で数人の
有志と幾多の妨害を乗り越え上演する事になる。
そして、未知の世界ともいえる湖南の劇団主体の第2回滋賀県
演劇フェスティバルに身を投じる。
自分が本当にどんな芝居がしたいのか?方向性は見つけた。
この年の暮れ、遼 平と名乗り神崎 仁と共に劇団BUGSY結成。
劇団 彩
『KENKEN/作・演出 北沢則子』
夢幻塾
『アンダー・カヴァー/作・演出 今村康博』
第2回滋賀県演劇フェスティバル
『眩の都/作・演出 宮沢十馬』
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